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はてなハイクの続き

二十数年前のラジオ

今週のお題「わたしの好きな色」

 

RCC中国放送でも放送していた『水谷優子のアニメ探偵団2』に、山本正之先生がゲスト出演されたのを聞いたのが小学生の時分。

COLORS

COLORS

 

 

 2回目(たぶん)の出演時には新作アルバム『COLORS』が紹介された。先行して募集された「急げタクシー」の替え歌企画もあった。

番組内でかかった「ジパング難破船」と「怪人jijy面相」はシングルカットされている。

 

怪人Jijy面相

怪人Jijy面相

 

この時分の老人は、世代的に「戦前」を知っていて当然な人達であるから、「ラバウルゼロ戦飛ばし」てる人がいてもおかしくないと思わせつつも、「米騒動覚えてる」のはだれもが知ってるとは言えない絶妙な時期の歴史的事件がうたわれたりする。「マッカーサーが上陸してから半世紀」になろうとしている時期に、だんだん東京がニューヨークのように多国籍な色彩を帯びることを、憂うというよりは負い目を感じながら受け入れようとしていた。「民族のルールまきあげて」は後に明石散人で思い出した。

  

 

 

 

三ヶ月と少し

今週のお題「母の日」

はてなハイクに、母が亡くなったことを書いたのが一月末。ハイク終了までに色々振り返ろうとしたことが止まった。

昨年までとは違う状況で目にする母の日の宣伝、商品。なにやら近づいてはいけないもののように見えて、来年以降もこんな感じかねと、ぼんやりする日曜日。

例年通りのことと令和初年のことと

今週のお題「特大ゴールデンウィークSP」

とくに祝日だから休みということもなく(休みに設定するのは自由だけれど)、世間が休みの日の閑散とした電車を乗り降りするのは、それはそれで気分を落ち着かせる効果があるようだ。普段より人の少ない職場の、良くも悪くも緊張感の薄らいだ空間が生む余裕が頭の中を整理する。

休みの日、とくに連休でもないこの期間に、近所のフラワーフェスティバルに足を運ぶのは恒例となっていて、三日間あるうちのどれか一日を選ぶなら、最終日の夕方に閉会の様子を見るのを選ぶ。かといって花の塔の鉢を貰いに並んだことはなかった。

しかし今年は並んでみた(並ぼうと言われたからではあるが)。行列は好かないけれど、進み具合は早いので、ついでのIngressはあまりじっくりできない。

会場に向かう前に、県庁に寄って御即位奉祝の記帳をした。貴重な機会だしと、「記帳所の書記長」とはてなハイクに書いたろうことは疑いない。

ともかくも後平成は令和となった。正月に変わるでなく年度替りに変わるでもなく、この月に変わることを好意的に捉えるなら、「徐々に」慣れていった(この先も段々と慣れていく)ことだろう。

西暦にしろ皇紀にしろ、いちいち世紀が変わる百年ごとにきっちり区切りを付けられてはかなわない。ほぼ一生がおさまってしまう百年の物差しや、4桁に及ぶ通し番号の一部で一生の長短を測られては不憫な話。親は昭和の半ばから平成を生きた、そういう数え方を担保しておく。

昭和辛酉生まれの平成

今週のお題「平成を振り返る」

  • 後期

平成の終わりははてなハイクの終わりにほぼ近いので、平成を三分割した後期がはてなハイク時代ということになる。

その間の自身の環境の変化が激しかったので、ひとくくりの期間にならなかったはずのところが、ハイクのお陰で連続性を保てた。節目節目で報告もできたし。

これから先も、できれば断絶という事態はなんであれ避けたいので、こうやってハイクのidページで書きそうなことをここで継続させる。

  • 中期

ではそれ以前、平成十年代はどういう時期とくくれるか。高校の途中から最初の職場の終わり頃という、これはこれで変化が激しい(年齢的に必然な変化に流されるまま)が、その間にも一貫してるものがあったかどうか。ただただ本を読んで、少しずつでも興味の幅を広げようとしてた。大学の図書館で、十進分類の分野別に満遍なく借りてみたりしたこともあった。どっぷり浸かっていたラジオ視聴や録音は、ネット環境を得てからはポッドキャストに置き換わる。そして2chからはてなブックマークへと、何かしらの記録をwebに残したくなる欲求に至る。

  • 前期

平成一桁の頃は小中学生の時分で、元々あるものが昭和で、新たに出てきたものが平成だという認識が強い。戦前というのは祖父母の時代で戦後は親の時代、というわかりやすさの延長。進研ゼミなどで将来の話を示される時も、2000年に大学生になるあなたたちというきれいな区切りが用意されていた。その時点では平成二桁台が遙か遠い未来に感じたものだけれど、学齢期の間は数年先の未来は決まりきっているようなつもりでいた。漫画にしてもゲームにしてもカードダスにしても(ガンプラというよりはこちら)、次の発表や発売が定期的にあることを当たり前に受け止めていた。自分から好きなものを決めて買ったり読んだり遡ったりすることで、流され方を選べるようになるのが、中期後期に向けての地ならしになったのだろう。

その頃の商品のリバイバルを喜ぶ気持ちと、それはそれで終わったものとしてほしい気持ちのせめぎ合で平成が終わろうとする。